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# Vol.19

コロナ禍で考える、日本社会の病理とその処方箋 -違いを豊かさと認める社会へ-

中野 信子(脳科学者) × 中村 和男(シミックホールディングスCEO)

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新型コロナウイルスの大流行は日本社会の病理を浮き彫りにし、これまでの経済合理性を基準とした社会はかつてない変革を迫られています。多くの人が先の見えない不安や痛みを抱えるなか、私たちはどのように生きるべきでしょうか。研究者の枠組みを越え、幅広いメディアで活躍する脳科学者の中野信子さんに、日本社会が抱える病とその処方箋について、中村CEOがお伺いしました。

中村 : それでは脳科学について、まずは簡単に教えていただけますか。

中野 : 「脳科学」というのは比較的新しい言葉です。昔は大脳生理学、あるいは神経科学と呼ばれていました。今でもアカデミックではこちらが主流かもしれません。大脳生理学が脳科学になった背景には、functional MRI(fMRI)の発展があります。fMRIは血流増加によるMR信号の変化を利用して脳活動の活性を視覚化する方法です。fMRIの登場で、PETと比べると観察しやすいタイムコースで脳をマクロな視点からマッピングできるようになり、脳科学という言葉が一般化しました。

中村 : さまざまな機能と脳の繋がりを解明する糸口が見つかったということですね。脳科学で、僕が非常に関心を持っているのが脳と心の問題です。脳は頭にあることは理解しているのに「心」となるとつい胸のあたりにあるような感覚になるのが不思議ですね。

中野 : 日本では「心の臓」、欧米では”heart”と言うように、私たちは脳ではなくて胸のあたりに感情の中心があるような感覚を持っています。これは世界共通なのだろうと感じます。しかし、感情の源泉をたどると前頭葉に行きついてしまう。この乖離が長らく議論の的になっています。心脳問題こそ、いわば最後のフロンティアかもしれません。

中村 : もう一つ、私が興味を持っているのは感覚器です。目や耳、味などは全て脳とリンクしていますが、まだその全容はわかっていません。そのあたりの研究手法はどういったものがありますか。

中野 : 分子的なアプローチとfMRIを用いたマクロなマッピングがありますが、fMRIは基本的には血流を見るものです。データがどの程度、神経活動を反映しているかはっきりとはわからないことがネックとなっています。

集団心理と群れの科学

中村 : 今一番関心をお持ちの分野は何でしょうか。

中野 : 実はずっと一貫して集団心理に興味を持っています。意思決定は完全に個人のものだと多くの人は思っていますが、100%自分の意思だけで物事を決めることはほぼあり得ません。目の前の人が今何を考えているか、あるいは目の前に誰もいなくても、これをしたらあの人はどう思うかなど、必ず誰かの意思を忖度し、周囲の情報からの影響があるのです。心理学の言葉で言うと、準拠集団の意思を無視して意思決定をすることはないのです。これを定量化して形にしたいと考えたときに、アートに目を向けると面白いのではと思っています。

中村 : アート、きましたね。

中野 : 作品の価格の決まり方ってすごく面白いんです。アートとしての価値という本質的に価格の決めにくい要素や、市場の評価など、いくつものパラメータがあるのですが、みんながいいと思えば価格が上がるという性質を持っています。それが集団心理を調べる上での良いモデルになるのではと考え、マーケットの分析に取り掛かろうとしているところです。

中村 : 集団の意思決定につながるものとして、ムクドリや魚など、動物の群れの科学がありますよね。例えば、ムクドリの群れの飛ぶ動きを見ていると、外敵に襲われたときに一羽がすばやく方向を変えると、ほかの個体も瞬時にそれに従います。一方、鳥の飛行は集団運動であり、特定のリーダーはいないとされています。人間の集団も群れとしてみたとき、生産性の高い集団とそうではない集団で行動特性がどう違うのかを調べることは非常に面白いと思います。人間は群れでしか存在できない生き物ですので、個人の意思決定過程を知る上で、群れの視点も必要ですね。

中野 : おっしゃる通り、ハチやアリほどではないけれど、ホモ・サピエンスは不完全でありながらもかなり強固な社会性を持っています。ヒトの持つ不完全な社会性の正体をある程度解明できたら非常に面白いだろうと思います。 たとえば、熱力学で相転移というものがありますよね。過冷却状態にある液体に少し刺激を与えると一気に固まるなどの現象です。人間の群れにおいてもおそらく相転移のようなことが何らかのきっかけで起こることがあると考えられますので、それを定式化できるといいなと思っています。

コロナ禍で見つめ直す、本当の豊かさとは

中村 : 新型コロナウイルスが社会全体に暗い影を落とし、辛い思いをしている方が多いです。何らかのきっかけを提供して明るくすることができればと思うのですが。

中野 : 大事なテーマです。自殺者はかなり増えていて、特に女性では前年比で2倍近くにもなっています。行政も経済的な困窮がその要因の一つということでGo Toキャンペーンを実施したのかと思いますが、感染拡大との兼ね合いでなかなかうまくいかず現在に至っています。

中村 : 先日、インターナショナルスクール出身の長男とその友達に会ったときに「自分たちの仲間にはあまり精神的に追い詰められている人はいない」という話が出ました。なぜだろうと考えてみると、やはり国際性や多様性に富んだ環境で育ち、さまざまな経験をしたことと関係しているのかなと思いました。

中野 : それは大きいと思います。均質な社会だと何が起きるかというと「あの人だけ得している」という考えになる。そしてそう思うと逆の視線も自分に向かうんです。自分がそう思っているからには相手にそう思われてしまうと。自分もそう思われるようなことを避け、我慢に我慢を重ねて最終的には自分の心と体をすり減らしてしまうように思います。

中村 : そういう人を救えるような仕組みが必要ですね。もっと多様性を認めて、お金がなくても面白いことをしたり、いわゆるオタク的なものも受け入れられる社会が本当に豊かな社会だと思います。

中野 : アートにも通じますね。私は「働かざる者食うべからず」という言葉が、日本社会の病理の根源にあると思います。今は働いているように見えない人が、実は30年後に役立つことをしているかもしれない。アートも明日生きていくためには役に立たないかもしれないけど、3年後に生き延びているためには必要かもしれない。

中村 : まさにそう思います。今では有名な画家も生きている間には評価されなかった。でも、本能的に描きたい、表現したいといった気持ちこそが人間らしいいのではないでしょうか。そうした人たちを支えられる最低限のセーフティネットは、今の日本でも確保できると思います。

中野 : 一方で、多様性のある環境にいたときに心がざわつかずにいられるかというと、そうでない人も多いというのも現実です。みんな一枚岩でいることが心地よいと感じる人が多い中で、自分と違う意見があることこそが豊かさだという認識に、それこそ相転移していくような教育が今求められているのではないでしょうか。

中村 : 指導要領に沿った教育カリキュラムには限界がありますよね。アートという切り口がヒントになるのではと思います。

中野 : ニューヨーク近代美術館が開発した教育カリキュラムVisual Thinking Strategy(VTS)では、子どもたちに絵を見せるときに誰がいつ描いたなどの知識を教えるのではなく、その絵についてどう思うか、子どもたち自身の意見を聞きます。すると不思議なことに、子どもの成績が上がっていくというデータがあるんです。 なぜ効果があるかというと、自分とみんなは違う考え方をもっていること、それは劣っていることではないし、違うからこそ価値があるということを学べるからです。 これが子どもたちの自己肯定感を高め、創発的な学びを自ら求めていく態度につながるからだと考えられています。一律に採点ができないので教育者にかかる負担は大きくなりますから、現実的にはリソース次第ということにはなりますが、子どもにとっては一生の財産となります。日本でも広まって欲しいですね。

中村 : やっぱり物を見たり、考えたり、感じたりという部分も大事にしないといけない。子どもたちをいろいろなところに連れて行ってさまざまなものを見せてあげることは重要ですね。

病的な社会からの脱却に向けて

中村 : 新型コロナウイルスの影響で働き方は変わりましたが、僕自身は会社の「公園効果」の重要性を実感しました。何もしなくても一緒にお茶を飲んで顔を見ながら話すことで、リラックスしたり、想像力や競争心が刺激されたりする、そういった効果はとても大事ではないかと思い始めました。

中野 : 面白いですね。コストがかかるのでオフィスをなくしてバーチャルでやりとりする方が経済合理性は良いですが、やはりベースメントは必要だと思います。

中村 : 小さくてもいいので会社に公園のような場所を設けることで、仕事の垣根も越えたネットワークができて、クリエイティブな発想も生まれると思います。

中野 : 海外の研究所ではそういう場が設けられてます。お茶の時間が2時間くらいあったりして、分野を跨いで「研究オタク」同士が交流する中で、面白い領域が生まれます。

中村 : 僕もコロナ後のために今からそうした場作りを準備しています。もう一つ、お祭りの重要さも改めて感じました。

中野 : 理由はまだうまく説明されていないのですが、お祭りがなくなることによって追い詰められた人々は生贄(いけにえ)を求めるようになります。古来から繰り返されてきた祝祭の構造が失われたことによる弊害に多くの人が悩まされていると感じます。誰かを祭り上げて攻撃することで溜飲を下げようとする。ルールに則らない人を見つけるとみんなが攻撃を始める。異様ですよね。その攻撃対象になりたくないので、また自分を追い詰めるという悪循環が生じて、今社会は非常に病的な状態にあると思います。

中村 : 日本は本来、自分とは異なるものを排除するのではなく、共生してきた国です。混浴はその典型です。もちろん人に迷惑をかける行いや問題を起こすのはいけないけれど、そうでなければ許容する文化があったはずなのに、それが狭まってしまっています。

中野 : 確かに、ルールを守ることがアイデンティティのようになってしまう人もいます。いったんルール化されてしまうと以前の状態に戻すのは大変かもしれませんね。

中村 : ルールも大事ですが、それよりももっと大事なのは、マナー、エチケットです。マナー、エチケットなくしてルールだから従えというのは違うんじゃないかなと。

中野 : ルールとは本来、周りの人に不快な思いをさせないことを目的に作られたものだということを改めて考える必要がありますよね。

「美しい」に資する活動にインセンティブを

中村 : 先ほど経済合理性というお話もありましたが、今後経営に求められることは何だと思いますか。

中野 : 「美しい」がキーワードになる気がします。 美しい振る舞いをすること、それ自体を私たちはインセンティブと捉えます。美しいを大事にした人の方が健康で長寿ですよとか、あるいは組織として発展しますよというわかりやすいメリットを示せるといいですよね。 20世紀の経済モデルは限界を迎え、経済合理性だけを追求する社会の破綻がみえてきた今、どういうパラメータを加えて経済を設計し直すべきか考えると、美しいとか、この人と一緒にいたいとか、満足したいとかそういった要素をもっと評価に入れていいと思うんです。 その効用関数をきちんと入れ込んだ経済モデルを作ることが求められますし、現場でも美しい振る舞いを推し進めていくことで、社会に資することができるのではと思います。

中村 : 経済合理性だけでなく、もうちょっと違う面白さとか、オタク的な気質、そして今おっしゃっていただいた美しさなど、そういうものを評価するような仕組みにしないといけないですね。地球規模での環境問題を考えていくとこれからは、自然との共生を超えて、ロボットやAI、さらには他の動植物を含めた「混生」の時代に入ったのではないかと私には思えてりません。今後はより一層、多様な考え方と未来志向の社会デザインが求められていくでしょう。 最後に、実は信子さんの義理の父上と僕は高校・大学の同級生であり、信子さんとも旧知の仲です。メディアを通じて拝見することも多く、大変ご活躍されていますが、今日はサイエンティストとしての信子さんとの対談、とても楽かったです。本日はありがとうございました。

PROFILE

中野 信子 Nobuko Nakano

脳科学者、医学博士、認知科学者

東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年にフランス国立研究所にて博士研究員として勤務、2010年帰国。現在東日本国際大学教授。

中村 和男 Kazuo Nakamura

シミックホールディングス株式会社
代表取締役CEO

1946 年生まれ、山梨県甲府市出身。1969 年京都大学薬学部を卒業、2008 年金沢大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了。薬学博士。1969 年三共株式会社(現・第一三共株式会社)に入社し、世界的に有名なブロックバスター薬であるメバロチン(高脂血症、家族性高コレステロール血症治療薬)の開発プロジェクトリーダーを担当した後に独立。1992年に日本初のCRO(医薬品開発支援)のシミックを創業。製薬企業のバリューチェーンを総合的に支援するビジネスモデルを確立。現在では、これまでのビジネスモデルを発展させ、個々人の健康価値向上に貢献する企業を目指している。

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