俳優界の名門 田村家を背負い、未来につないでいく覚悟 -時代劇の『型』を次の世代に伝えるために-
田村 幸士(俳優) × 中村 和男(シミックホールディングスCEO)
近年、Googleなどのビッグ・テック企業が最新の技術競争を繰り広げる中、唯一無二のポジションを確立したソースネクスト。同社は「製品を通じて、喜びと感動を、世界中の人々に広げる」をミッションとして掲げ、AI翻訳機『ポケトーク』など、さまざまなヒット製品を生み出してきました(現在、ポケトーク事業は分社化)。今回は創業初期から活躍し、ポケトークの初代プロデューサーも務めた小嶋智彰さんをお招きして、独自のビジネスモデルを支えるマインドや仕事観、これまでのあゆみについて、中村CEOがお話を伺いました。
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中村 : 小嶋さんは、製品開発において常にユーザーのニーズを第一に考え、使いやすさと革新性を追求してきました。その姿勢が「ポケトーク」を始めとする多くの成功を生み出し、ソースネクストをユニークな存在にしていると思っています。現在に至るまでどのような学生時代を過ごされたのですか。
小嶋 : 私は東京生まれ神奈川育ちですが、歴史好きな親と一緒に、京都を毎年旅行していました。その影響もあって私も歴史が好きになり、京都大学 文学部に進学しました。結局、専攻は日本史ではなくヨーロッパ史になりましたが。
中村 : 学業以外に熱中したことはありますか。
小嶋 : アルバイトをしながら、ビジネスについて研究するサークル活動をしていました。活動の柱は、現役で活躍されている社会人の方にビジネスについて講義をしてもらい、それぞれ自分でビジネスを考えて立ち上げることでした。私は塾でさまざまなアルバイトをしていたこともあり、塾のコンサルティング事業を立ち上げました。
中村 : 学生時代にコンサルですか。僕は京都大学の薬学部に入学し研究者を目指していましたが、京都という地の文化や風土に魅了され、またモテたい一心で軽音学部に入りバンド活動を始めました(笑)。それから音楽にどんどんのめりこみ、3回生のときには自分のバンドを持ち、さらに全体のマネジャーとして部の台所を切り盛りするようになりました。楽器の購入費や維持費を工面し、地方公演会を開くなど、まるで芸能プロダクションのような役回りを担っていました。約100名の部員をどうやって支えていくかを日々考えていました。今思えば、これがマネジメントに初めて触れた機会だったかもしれません。小嶋さんも似たような経験をされたのではないですか。
小嶋 : そうですね。私も生徒集めや講師採用のための仕組み作りなどをしていました。最初は時給制でスタートし、最終的には生徒増加数に応じた成果報酬に切り替え、それがうまくいってビジネスの面白さに目覚めていきました。
中村 : 学生時代にビジネスの面白さを知る機会があったことは貴重な経験ですよね。ただ、在学中にビジネスの面白さを知ってしまったことで就職することに対する抵抗はありませんでしたか。
小嶋 : 今ですと副業という選択肢もあり、複数のビジネスに同時並行で取り組むことも可能ですが、当時は1社に就職するのが一般的でしたので、いったんこのプロジェクトは終わりました。ただ、ビジネスについて興味が湧いたため、さらに勉強するためにカリフォルニア大学に1年間留学しました。幸運にも、隣町にあるクレアモント大学で、毎月ピーター・ドラッカーさん※の講義を聴講することができました。当時、ピーターさんは90歳を超えており、杖をつき、補聴器も使っていましたが、全身全霊で授業されていました。その講義を若い学生や起業家たちは目をキラキラ輝かせて聞いていて、その光景に衝撃を受けました。自分もどうやったらこうなれるのだろう、そんな人生を歩みたいと強く思いました。
中村 : それはとても貴重な出会いですね。僕にも尊敬している恩師がいます。「雑草のごとくたくましく生きる」という座右の銘を持っていて、どんなに困難な状況でもあきらめなければチャンスは必ずやってくると教えてくれました。その生き方に深く感銘を受け、いつも会うたびに勇気をもらうことができました。小嶋さんにとってのピーターさんは、僕にとっての恩師と同じような存在なのだと感じました。
小嶋 : 私は一方的にファンなだけなのですが、ものすごいエネルギーを感じたことは今でも鮮明に覚えています。彼のように若者に人生経験や夢を伝えるためには、経営の道を歩むのが最適だと考えました。私は投資家として次の世代のビジネスを支え、若い人からアイデアやエネルギーをもらう「おじいちゃんライフ」を目指したいと思いました。その目標を達成するため、就職活動ではできるだけ早く経営者としての経験を積める会社を探しました。そして出会ったのがソースネクストでした。当時は設立からまだ5年ほどの若い会社で、社員も50人程度。主力製品はパソコンソフトでした。
中村 : 入社後はどんな仕事をされましたか?
小嶋 : 最初の1年は、海外から面白い製品を発掘して日本での発売交渉や発売準備をする仕事をしました。その後、ネットショップ担当や、法人ビジネスの立ち上げなど、さまざまな業務を経験し、いよいよ上場という時期に経営企画室に配属になりました。上場前後を含む約4年間、その責任者を務めました。
中村 : 人材マネジメントでは苦労されませんでしたか。
小嶋 : まさに教科書通りにはいかないことの連続でした。多くの部下が会社を去り、途方にくれたこともありました。しかし、当時の上司に「君にマネジャーを任せたのだから君のやり方を信じる」と声をかけていただいて、自分の心と直感を信じる勇気をもらいました。
中村 : 経営者にはみな、覚悟を決めるべき瞬間があります。小嶋さんにとってはその言葉が、背中を押してくれた重要な一言だったのではないでしょうか。上場後はどんな役割をされていましたか。
小嶋 : 上場後すぐにリーマンショックで業績が悪化したので、「全員で売り上げを作る」を合言葉に、私も営業の最前線に入りました。全国の家電量販店を回って、現場で商談を地道に続けました。結局その仕事には10年携わりました。
中村 : 小嶋さんの原点である塾のビジネスと少し似ていますね。
小嶋 : 学生時代に机上論ではなく、テレアポから講師の面接まで全部自分でやって、身をもって現場の重要性を学んだことが活きました。その経験があったので、会社が厳しくなったときもとにかく現場に足を運びました。
中村 : 学生時代の経験はビジネスにつながっていると僕も実感します。僕は軽音楽部でチケットを売って資金を集めたり、地方公演をプロデュースしたりしていました。とにかく収益を上げないと楽器も買えなかったので、常に客入りを意識して取り組んでいました。ビジネスはどうやって収益を上げるのか、そして楽しんで取り組む方法を考えることが大切です。この経験がのちにとても役立ちました。ビジネス成功の秘訣は常に現場にあります。現場の感覚を持たない経営者の言葉には説得力がありません。現場で働く人々の視点や経験をしっかりと理解することで、より的確な判断や指示ができるようになります。現場を理解し続けることが重要です。
中村 : 相手の国の言語を話せなくても自由に対話できる翻訳機「ポケトーク」はどういう経緯で開発されたのでしょうか。
小嶋 : 翻訳機を作りたいというのは、起業以来、創業者の大きな夢でした。ドラえもんの『ほんやくコンニャク』のように、誰でも簡単に使えて双方向に翻訳されるものを作りたいと考えていました。しかし、当時はAI、ハードウエアや通信環境など、必要な技術が未熟でしたので、その夢はお預けになっていました。ところが、2017年に大きな転機が訪れました。ディープラーニングと呼ばれるAIの技術が進歩し、Google翻訳など精度の高い機械翻訳が登場しました。ここで翻訳の機械を作ったら、世界が変わるのではないかと。長年抱いてきた夢を実現するときがついにきたと確信しました。
中村 : 翻訳という土俵で戦うなら、Googleなどのビッグ・テック企業を相手にすることになりますよね。日本企業が立ち向かうことに恐怖心などはありませんでしたか。どのような感覚で挑んだのですか。
小嶋 : 実は私たちはそういった企業と競合してはいないのです。彼らは次々と最先端の技術を生み出しますが、一般の方々はそれを聞いたことはあっても使いこなせないというギャップが存在しています。そのギャップを埋めるのがソースネクストの役割であり存在価値だと思っていて、ポケトークはそれを体現した製品です。
中村 : つまり翻訳エンジンの開発はしていなくて、他社の技術を組み入れているということですか。
小嶋 : その通りです。世界にはGoogleやDeepLなど、高い精度を誇る翻訳エンジンがありますから、ロイヤリティを支払って使用しています。それ以外にも国内外にさまざまな翻訳エンジンがあり、それぞれに特徴があるのです。その情報を集めて、たとえば日本語とベトナム語だったらこれが一番いいよねという各言語の組み合わせでの性能を随時評価して、最も精度が高いものを採用しています。そうすることで、ポケトークは理論的には世界一の翻訳機になります。
中村 : なるほど、そういう仕組みなんですね。ボタンを押して話すだけというインターフェースはシンプルで使いやすい。しかし、その中身には言語ごとに最新・最適なエンジンとAIが搭載されている。この組み合わせのアイデアは最初から思いついていたのですか。
小嶋 : 機械翻訳のコア技術で米国のビッグ・テック企業と勝負しても難しいので、その技術をうまく活用することにしました。実際に私たちが一番工夫したのは音声入力の部分です。通常の翻訳エンジンは、ユーザーが理路整然と話すことを前提に設計されていますが、実際には言いまちがえたり、雑音の多い環境もありますよね。そこで、たとえば少し言い淀んだ部分はAIが自動修正するなど、「人間は合理的で技術を完璧に使いこなせる」という設計思想と現実とのギャップを埋めることを重要視しました。このチューニングの部分は私たちがすごく独自性を出せているところなのです。
中村 : ポケトークの成功を確信したのはいつですか。
小嶋 : 最初に5,000台生産して発売したところ、たった10日で売り切れて「これはいける」と確信しました。すぐ増産に着手したのですが、私たちにとってハードウエア製品を作るのは初めてだったので、歩留まりの低さや輸送トラブルなど、経験したことのない課題に次々と直面しました。立ち上げ直後は中国の工場に何度も出向いて、現場で納期調整や品質チェックをしていました。
中村 : 小嶋さんが立ち上げの責任者だったんですか。
小嶋 : はい、私が初代プロデューサーを務めました。
中村 : 実は僕も日頃からポケトークを愛用させていただいています。以前に韓国のご夫婦とお話しする際に使わせてもらいました。特に海外の方はポケトークに非常に興味を持ってくださり、会話を重ねることが楽しくなり、不思議とみんな笑顔になります。今後、ポケトークは世界中でもっと広がっていくのではないでしょうか。
小嶋 : おかげさまで海外での売り上げも好調です。米国の売り上げが一番大きいです。移民も多く人口が増加する米国において、多言語対応へのニーズは高いと感じています。
中村 : 僕は生涯プロデューサーであり続けたいと思っています。小嶋さんは次は何をしたいですか。
小嶋 : 私の目指すことは、常に最新の技術と消費者をつなぐことです。今はやはり生成AIですね。2023年にChatGPT-4が登場したとき、「いち早く生成AIを使った製品を開発しなければ、ソースネクストの存在意義が失われる」と発破をかけて、社内でビジネスコンペを行いました。私自身も企画書を書いてそのコンペに参加し、そのとき生まれた企画が対話型ゴルフAIデバイス『BirdieTalk(バーディ・トーク)』です(2024年9月発売)。
中村 : ゴルフのラウンド中に AIがアドバイスをくれるというものですね。あれ、いいですよね。では、ビジネスで一番苦労したことは何ですか。
小嶋 : たとえば、ポケトークが好調で生産能力が拡大し切ったタイミングに新型コロナウイルス感染症が流行した、など、色々ありました。成功と失敗が一瞬で劇的に変わってしまうことを痛感しました。しかし、それも含めて、そういう人生が面白いかなと思っています。
中村 : そうですね。ピンチはチャンス、チャンスはピンチというのは僕もいつも言い聞かせています。ピンチのときにどう受け止めて、どう行動するかが重要だと思っています。落ち込んだときに自身にかける言葉はありますか。
小嶋 : あまり落ち込まないんですよ。きっと歴史が好きなので、今と他の時代と比較する目線を常に持っていて、当時に比べたら今の方が全然マシなのではないか。逆に今の自分がどれだけ恵まれているかを起点に考えるからじゃないかと、自分では分析しています。
中村 : その感覚、よくわかります。僕も、類人猿からホモ・サピエンスまでの進化を俯瞰して、気持ちを切り替えているというか。ホモ・サピエンスという動物として見ると「あの動物面白いな」みたいな(笑)。
中村 : 小嶋さんのIKIGAIとは。
小嶋 : 人生の中で仕事が占める時間は大きいですから、仕事が楽しくないと人生は楽しくないと思っています。では私にとって楽しい仕事とは何かと考えると、人の役に立つとか、子どもやパートナーに自慢できる仕事なのかもしれません。振り返ってみると、私がプロデュースしてヒットした製品はどれも、自分の好きを突き詰めたり、人の役に立ったりするものばかりです。『BirdieTalk』も、僕自身がゴルフ好きということもありますが、ゴルフをする方は健康寿命が長いことから着想しました。今後、日本では健康寿命の延長が大きな課題になります。そうした課題に貢献できる仕事をしていくことが生きがいです。
中村 : 最後に、若い人たちへのメッセージをいただけますか。
小嶋 : 変化を楽しむことが大事だと思います。変化はチャンスなので、迷ったら変わることを選んだ方が、後から振り返ったとき満足度は高いのではないでしょうか。
中村 : 今日はありがとうございました。
Profile
小嶋 智彰 Tomoaki Kojima
ソースネクスト株式会社 代表取締役社長 兼 COO
1977年東京都生まれ。2000年に京都大学文学部卒業、カリフォルニア大学にてマーケティングを学び、2001年にソースネクスト入社。Bitdefender社、Sun Microsystems社(現オラクル社)など数々の海外企業との大型提携のプロデュースや筆まめ、筆王、B’s Recorderなどの買収案件を手がける。ヨーロッパやアジアでの当社製品の販売の責任者、Sourcenext B.V.(オランダ)CEOなどを経て、現在に至る。
中村 和男 Kazuo Nakamura
シミックホールディングス株式会社 代表取締役CEO
1946 年生まれ、山梨県甲府市出身。1969 年京都大学薬学部を卒業、2008 年金沢大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了。薬学博士。1969 年三共株式会社(現・第一三共株式会社)に入社し、世界的に有名なブロックバスター薬であるメバロチン(高脂血症、家族性高コレステロール血症治療薬)の開発プロジェクトリーダーを担当した後に独立。1992年に日本初のCRO(医薬品開発支援)のシミックを創業。製薬企業のバリューチェーンを総合的に支援するビジネスモデルを確立。現在では、これまでのビジネスモデルを発展させ、個々人の健康価値向上に貢献する企業を目指している。