HIRAKU’s VIEWPOINT コラム vol.30
「Gapを生きる」京都大学での特別講義に登壇して
Hiraku(中村キース・ヘリング美術館ディレクター)
# HIRAKU’s VIEWPOINT
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# Vol.31

幼稚園児か小学生の頃、家の本棚で初めてキース・ヘリングの作品を目にしました。
本棚の一番下の段にあった、母が持っていたと思われる一冊の背表紙には、ヘリングの犬の絵が印刷されていて、そのワンシーンだけが、なんとなく記憶に残っています。
その後、ニューヨークに引っ越し、街のあちこちでヘリングの作品を見かけるようになりました。落書きのように残された線も、ビルや壁に描かれた大胆な図も、ごく自然に“日常の風景”の一部になっていきました。
成人してからは、当時勤めていたファッションハウス「パトリシア・フィールド」で、2010年にキース・ヘリング没後20年を記念したコラボレーションラインの企画に携わることになりました。
ヘリングの友人でもあったパトリシアのもとで働き、彼と親交のあった人々に囲まれ、かつて彼が暮らしたダウンタウン・ニューヨークで同じように日々を過ごすうちに、ヘリングは私にとって、 “授業で習うアーティスト”ではなく、ゲイコミュニティのアイコンであり、会ったことはない“先輩”のような存在になっていきました。
一方で、作品をデザインとして扱うには、財団やライセンス会社との密な交渉が必要でした。そのやり取りを通じて、街にあふれる彼の作品の歴史性や文化的価値を、あらためて理解するようになりました。
そんな頃、日本にあるキース・ヘリング美術館の創設者である “ミスター・ナカムラ”と出会いました。
ニューヨークを訪れるたびにフィールドの店に立ち寄ってくれて、「おー、元気でやってるかー?」と、日本人スタッフである私たちに気さくに声をかけてくれる人でした。
彼が店に現れると、「ミスター・ナカムラが来たよ」と自然とささやきが広がり、すれ違うスタッフが次々に笑顔で迎える——そんな温かな光景がいつもありました。
それから4年後。
私が小淵沢を訪れたとき、ミスター・ナカムラから「中村キース・ヘリング美術館のディレクターをやらないか」と声をかけられました。
その役割を引き受けたのが、すべての始まりでした。
あれから11年——。
「中村館長」と呼ぶこともあれば、「CEO」と呼ぶこともあり、時には「和男さん」と呼ぶこともありました。
一緒に食事をし、時には意見をぶつけ合い、しばらく口をきかなくなることもあり、また何事もなかったように仲直りする。
そんなやり取りを重ねるうちに、いつの間にか“叔父と甥”のような関係性になっていました。
皆さんがよく知る中村CEOは、キース・ヘリングの作品を心から愛していました。
1987年にニューヨーク出張中に出会った一枚の作品をきっかけに2007年には美術館を設立。
展示が変わるたびに、自宅や会社に飾っていた作品を私たちが回収しに行くと、空いた壁を見て「寂しいからさ、なんか持ってきてくれる?」と言うのです。
新しいビジネスが始まったときも、新しい施設が完成したときも、そこには必ずヘリングのポスターや商品が置かれていました。
ある日、
「どうしてそんなにヘリングの作品が好きなんですか?」
と尋ねました。
すると返ってきた答えは、いかにも中村CEOらしいものでした。
「だって元気が出るだろ? この色使いとかさ。やっぱり愛だよな。これでビジネスしてる奴らは他にいないぞ。」
子どもの頃に見た、背表紙の“ヘリングの犬”は、長い時間をかけて私をミスター・ナカムラへ導いてくれました。
そして私がそばで見ていた彼は、自分の“愛”をビジネスとしても成立させるというチャレンジを続けていた人でした。
そのチャレンジこそが、彼にとっての報酬であり、「IKIGAI」だったのだと思います。
ふとした瞬間、あの口癖が頭をよぎります。
その問いにどう向き合うか。
きっとそれが、これからの私たちの“次の一歩”を形づくっていくのだと思います。
「じゃあどうする?」
PROFILE
Hiraku
ニューヨークでアートプロジェクトを中心にモデル活動を行い、写真家ライアン・マッギンレーやレスリー・キーなどの被写体に。2010年、26歳の若さでセレブから人気のブランド「パトリシア・フィールド」のクリエイティブ・ディレクターに就任。ソーシャル・メディアを中心に、トークショーへの出演、モデルやアンバサダーなどとさまざまな分野で活躍する。現在はLGBTQ人権の啓発活動やHIV/AIDS予防啓発や陽性者のサポートなどの社会活動に積極的に携わっている。
https://www.nakamura-haring.com/
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