# Dr.Mochizuki’ s Column

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# Vol.29

日本最初のMRさん(旧称:プロパーさん)

望月 吉彦(医療法人社団エミリオ森口 理事長/芝浦スリーワンクリニック 院長)

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今号はMR(Medical Representatives:医薬情報担当者)さんの話題です。今はMRと称されますが、以前はプロパーと呼ばれていました。
呼称が変わったのは、今から約30年前の1991年です。プロパーはpropagandist(宣伝員、布教者)が、元になっています。

今号はMR(Medical Representatives:医薬情報担当者)さんの話題です。今はMRと称されますが、以前はプロパーと呼ばれていました。呼称が変わったのは、今から約30年前の1991年です。プロパーはpropagandist(宣伝員、布教者)が、元になっています。

そのMRですが、現在減少の一途をたどっています。MRの数がピークだった2013年には国内認定MR数は65,752名でした。それから段々と減り、2023年度には51,848名と13,904名と21%も減っています(2024年版MR白書より引用)。

MRには2種類あります。

❶ 製薬会社のMR
❷ CSO(Contract Sales Organization:医薬品販売業務受託機関)のMR です。

プロパーもMRも本来は同一業務のはずですが、プロパーと称された時代の業務は「営業でお薬を広めて使ってもらう」ような感じでした。時代は移りMRと称されるようになってから、その業務は「医薬情報を広めて、お薬を使ってもらえるように努力する」ような感じを受けるようになりました。

私が医師になった頃、学会発表はフィルム作成によるスライドを使っていました。そのスライド作りのお手伝いをするのが“プロパー”の仕事の1つでした。大きな病院の周りにはそういうスライド作成をする会社がありました。パソコンを用いた学会発表が主流となり、そういう会社はなくなりました。プロパー時代とは違い、MRは、今は基本、お薬の説明だけにいらっしゃいます。

話は変わります。

アン・ハサウェイとジェイク・ギレンホールが主演した映画「ラブ&ドラッグ」はアメリカのMRの実態?を描いています。良いお薬(映画ではバイアグラ)があればMRは楽で、アメリカではMRは担当している薬の売り上げの一部が収入になるのでしょうか、ジェイク・ギレンホールが演じたMRは、バイアグラが売れたのでポルシェを購入して乗り回していました。

話を戻します。

MRはMedical Representativesで医薬情報担当者と訳されていますが、representativeには「代表者」の意味もあります。MRとはつまり「会社を代表して医療情報を伝える役目」とも言えるでしょう。

プロパー呼称時代には、プロパーを自分の召し使いのように使っている医師がいました。「嫌」な感じでした。今は、そういうお馬鹿なことはほとんどなくなりました。しかし、今でも大きな病院では診療終了後の医師と面会するために多くのMRが診察室の周りで待っている風景を見ます(した?)。コロナ禍で、それも、少なくなくなったと仄聞します。いずれにせよ、MRの業務は「待ち」や「我慢すること」が多く、辛いだろうと思います。

さて、日本最初のプロパーの話です(MRという呼称が広まるはるか以前ですのでプロパーと称します)。その方の名前は二宮昌平(1877-1956)。ロシュ社のプロパーとして活躍しました。プロパーになる前は東京府巣鴨病院(後の東京都立松沢病院、精神科病院)の薬剤師でした。簡単に彼の経歴を紹介しましょう1)- 2)。

1877年 : 宮城県で出生
1898年 : 私立薬学校(現東京薬科大学)入学
1900年 : 同薬学校卒業、済生学舎入学
1901年 : 山梨県私立猿橋病院薬局助手
1903年 : 東京薬剤師試験合格
1904年 : 東京帝国大学医科大学薬剤部入職
1905年 : 東京府立巣鴨病院調剤掛 として入職
1911年11月: 同院を「神経衰弱」で退職
1911年12月: 日本ロシュに入職、以降、プロパーとして活動
1920年頃 : ロシュを退職、自ら薬局を神戸に開設
1956年 : 永眠

二宮が巣鴨病院を退職する際に提出した診断書が、東京都公文書館に、残っています2)。それから類推すると面白いことがわかります。二宮は、1911年11月30日にロシュと面談し入社が決定しています。しかし翌月の1911年12月13日に「神経衰弱」と診断され、同年12月18日、巣鴨病院退職。同日、ロシュに入社しています。「神経衰弱」は退職するための方便だったのでしょう。

明治維新後、西洋薬が日本に入り始め、ロシュは自社製品を日本で広めるためドイツ人外科医ルドルフ・エベリング(Dr.Rudolf Ebering:ロシュ本社東洋部次長)を日本に派遣しました。1911年(明治44年)のことです。エベリングは、丹羽藤吉郎(東京帝国大学医学部薬学科教授)、大沢道之助(横浜・ドイツ系薬局主任薬剤師)の紹介で二宮を採用。二宮はドイツ留学の経験はありませんでしたが、薬剤師として働くかたわら竹内楠三塾※1でドイツ語をかなり勉強していたので、それを見込まれたのでしょう2)。

1912年1月から、二宮はプロパー業務を開始しています。今、MRが行っているのと同じ方法です。つまり、

❶ 薬について科学的に説明を行う
❷ 薬のセールスは行わない

の2点に留意して、ロシュのお薬の宣伝をしていたのですね。100年前も、今も一緒です。

彼ら(エベリングと二宮)が宣伝していたお薬は「ジガーレン」(Digalen:ジギタリス製剤※2)でした。同薬を広く使ってもらうために2人で日本全国を回っています。各地の大学医学部や医師会で医師を集め、エベリングがドイツ語で講演し(文献やサンプルを呈示して)、二宮がそれを通訳。講演が終わると医師と会食をして、その際に質問を受けるという方法です。彼らが行ったのは、セールスを行わない医薬品情報提供です。

これは当時、欧州では普通に行われていた近代的な広告方法です。2人とも人力車を用い、フロックコートに山高帽を着用したとあります1)。
なお、二宮が行っていた学術的でセールスを伴わない宣伝活動が、当時の日本人プロパーの標準となっていきました1)- 3)。

なお、二宮は何度も渡欧して最新の医学薬学の知識を収集していたので、日本人医師からとても信頼されたそうです3)。良い話ですね。

以上、日本初のプロパー(MR)を紹介しました。インターネット時代、MRの役割はどんどん変わっていますが、そういう時に原点を見直すのも一興かと思い、稿を起こしました。

【参考文献】 1)西川 隆「MRの歴史―日本最初のプロパー誕生から百年―」日本医史学雑誌 vol.59, no.1, pp.139-140, 2013
2)五位野政彦「府立巣鴨病院薬局長 二宮昌平の記録」薬史学雑誌 vol.53, no.2, pp.113-129, 2018
3)孫 一善「戦前期における日本ロシュの朝鮮での活動」薬史学雑誌 vol.53, vo.1, pp.13-18, 2018
※1: 竹内はドイツ語と心理学の専門家
※2: Digalen Roche®(正式名を見つけるのは大変でした)
成分(静注剤) ① alcohol 26%( overall active ingredients) ②d igitalis glucosides( overall active ingredients)

PROFILE

望月 吉彦 Yoshihiko Mochizuki

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック

医療法人社団エミリオ森口 理事長 芝浦スリーワンクリニック 院長

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